骨伝導で温泉旅行 - 骨伝導情報館

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存続が危険な治療院

磯部温泉と骨伝導

磯部温泉と骨伝導


 温泉記号ろいえば、♨ です。

 このマークの発祥の地として知られるのが群馬県の磯部温泉です。今回は磯部温泉に骨伝導サングラスをかけて出かけます。

 温泉マーク発祥は、西暦1661年のことでした。江戸時代でした。
 土地の境界をめぐる訴訟の判決文が江戸幕府から出されました。この判決文の地図に温泉記号が存在したというものです。これは、現在までに最古の温泉マーク使用例となっており、裏を返せば、これ以前の史料に温泉マークが発見されていないことにより、温泉記号発祥の地とされているようです。

 しかし温泉記号発祥の地とはいわれるものの、磯部温泉の源泉温度は徐々に低くなってきたようで、現在の旧源泉温度はわずかに24℃です。当然、沸かして使わなくてはなりません。
 そこで新たに掘られた新源泉が誕生し、こちらは52℃という温泉らしい温度になっています。


 磯部温泉は「舌切り雀の伝説」が残る地でもあり、明治の児童文学者・巌谷小波が磯部を訪れて、舌切り雀の昔話(日本昔噺)を書き上げたとされます。そのことから、温泉マークと並んで、磯部温泉は舌切雀伝説発祥の地でもあります。

 碓氷川が近くを流れ、この川に架かる鉱泉橋の近くには足湯があります。橋からは日本らしくない風景が展開する妙義山を展望することができます。

 最寄駅はJR信越本線の磯部駅です。
 北口の駅前ロータリーに、「日本最古の温泉記号発祥の地」の碑と、阿部眞之助の言葉が刻まれた「恐妻碑」が立っています。

 信越本線は長野新幹線によって分断され、磯部駅は高崎駅をターミナルとするローカル線沿いになっています。従って有名な温泉地でも特急電車はおろか、優等列車は皆無です。特急時代の「あさま」ですらほとんど停車せず、急行電車だけがかろうじて停車していた時代もありました。

 そんな磯部温泉に骨伝導サングラスを装着して到着です。

最新骨伝導サングラス


 紀行ライターD氏は、磯部温泉を下記のように表現しています。

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 磯部温泉は温泉自体の歴史は古く、浅間山の噴火時に湧出したのがはじまりと言われています。宿数は十件足らず、歓楽的な要素もなく、ひっそりと歴史を受け継いでいる印象が何とも言えない温泉情緒を醸し出しています。

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 骨伝導サングラスによって、好きなBGMを聴きながらでも耳をふさいでいないので、安心して温泉街を歩けます。車の通行がある場所では、耳をふさぎたくないものです。

骨伝導サングラス


 また骨伝導によって難聴傾向の方も安心して温泉を堪能できます。ただこの場合は骨伝導サングラスではなく、骨伝導きくちゃんがオススメです。

きくちゃんと補聴器について


 骨伝導とともに訪れる温泉は、環境の快適さと安全性に有効です。磯部温泉でも当然ながら有効です。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品 

 しかし、骨伝導機器であれば何でもよいわけではありません。
 米軍で採用された特許技術の骨伝導に意味があるのです。その点は十分に注意しましょう!

二つの湯村温泉と骨伝導

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 山陰の湯村温泉と山梨の湯村温泉。
 二つの湯村温泉を訪れた紀行ライターD氏。骨伝導で「湯」の「村」を聴きましょう。

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           ⇒ 山陰湯村温泉 骨伝導旅情
           ⇒ 山陰湯村温泉 骨伝導旅情 続き

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 やはり湯村は名湯であった。
 いろいろな感慨が交錯はするものの、この熱い湯に同化していると、もういつの間にか“4年間の月日の懸念”は完全に解け去ってしまっていた。

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          ⇒ 山梨湯村温泉に骨伝導の予感

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 ユムラ銀星の湯は浴槽自体は小さいが素晴しい湯であった。これでどこもかしこもが、とんでもなく大規模な施設を造ったりしたらまた変わってしまうかもしれない。
 ただ、温泉地を維持し、また発展させていくには、「せざるをえない」こともあり得るかもしれないであろう。

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 二つの湯村温泉。
 特許技術の骨伝導を使って、自然の恵みを堪能したいものです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導専門店

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そこで飲んでいた焼酎とつまみを持ってなんとなく部屋を出た。ロビーで飲んでやろうという寸法である。

玄関は既に灯りが消えており、帳場の前も寝静まった雰囲気。テレビとテーブル、ソファーのあるロビーだけに明かりが点いている。田舎の旅館に共通した夜のイメージである。当然誰もいない。
しばらく一人で飲んでいると、帳場の灯りが点いて年配の女性がきたので、思わず視線を向けてしまった。なんか一人客がこんなところで飲んでたりするとヘンに思われてしまう(?)と思ったからだ。

軽く挨拶し、
「いや〜祭りの前夜で、お隣さんも盛り上がってるみたいで‥」

と、ここにいる言い訳じみたことを言うと、女性は苦笑い混じりで

「すみませんね〜、どうぞごゆっくりやってくださいな」


山梨・湯村温泉に骨伝導の予感

山梨湯村温泉と骨伝導


 紀行ライターD氏が振り返る山梨・湯村温泉の思い出。
 以前の「厄除地蔵尊祭りと骨伝導」に関連する紀行です。(⇒ 厄除地蔵尊祭りと骨伝導

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 やっと「本当の意味で湯村温泉に降り立った」わけだが、予定変更のアオリを受けて既に6時近くなり、夕暮れ時も既に終了という感じ。迫り来る寒さに身体が必死で反発している状況。

 宿に入る時間もかなり遅れており、さっさと入ってしまいたいが、宿の場所を探すつもりが、そのまま温泉街をぶらぶらしてしまっている。
 着いたらまず散策する、という習慣というか、自分が温泉行脚の中でつくってしまったヘンな性みたいなものには逆らえないようだ。


 市街地の街道沿いにある、温泉入り口からしばらく歩いていると、街灯一つ一つにひらがなで『ゆむら』と書いてあるのが目に付き、温泉街の中心部に近づいて来ているのが分かる。
やがて温泉街を流れる小さな川のほとりに『歓迎、湯村温泉郷』と書かれた赤い石製の建て看板があり、この辺が中心街だと分かる。

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 その建て看板の横に川を跨ぐ小さな赤い橋が架かっており、その先には、ピンク色の古びた二階建て。スナックか何かであろう『赤い橋』という屋号が架かっている。
 この時間でも真っ暗であり、営業中という感じではない。それ以外でも特に土産もの屋などもなく、地元の人しか入らないような飲み屋や食堂にぽつぽつ灯りが燈っている。

 道がやや狭くなったその先に共同浴場『鷲の湯』があり、一階が浴場、二階は『湯村温泉芸能センター』になっている。二階のほうは現在機能しているかどうかは定かではないが、おそらく旅芸人一座の公演などをやっていた(いる)のではなかろうか?

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案内版を元に歩いていくと、どんどん温泉街入り口付近に戻っていき普通の街道≠ェ近づいてきた。そして最初に見た湯村温泉病院の向かいにユムラ銀星は建っていた。

鉄筋三階建の小ぢんまりした外観。

もう5メートルほど先はバス停のある街道が走っているということもあるが、いわゆる温泉旅館というより、街中のビジネス旅館という雰囲気。ウーン‥宿の選択を誤ってしまったか‥。その時の正直な気持ちだった。

 到着が遅れてしまい恐縮する中、年配の仲居さん(?)に何事もなかったかのように2階の部屋に通された。部屋の窓から外を眺めると、道を挟んで正面に湯村温泉病院がデンと構えている。

「もう夕食の時間は過ぎてしまっておりますので、お風呂は出来るだけ早く入ってくださいね、30分後くらいにお食事をお持ちします」

 仲居さんはお茶の用意をしながら優しげにそう言って部屋を出た。言われてみれば確かに、もう時計は七時をとっくにまわっている。なんだか仲居さんに眠っていた疲れを起こされたようで、いっきに身体が重くなってきた。

 ザブンと入って飯としよう。あ、しかし湯村の湯はここが初入湯なのだ。やっぱりじっくり浸かりたい。
などと馬鹿思案しながら浴室へと向かう。

 一応浴室は男女別にあるが、片方は機能していないようで、ひとつだけが使われている。(寂れた宿でよく見掛けるケースだが‥)3〜4人入れるくらいの小さめの浴室に無色透明のきれいな湯が注がれる。

 下部の湯と似て、アルカリ性の柔らかい湯だ。
 ただ泉温は40〜42度くらいで幾分熱く、下部のように、二槽に分けて入り分けるような習慣はないようだ。
 ただそれ以外に下部と大きく違う点としては、まず湯量がある程度確保されていると言う点が挙げられる。

 湯村温泉全体で源泉は12ヵ所あり、その湧出量は1分間に966リットルになる。まあ、岩手の須川温泉の6,000リットルや、草津の36,000リットル!ほどではないが、温泉地の規模と照らし合わせると、バブルな施設を造らずに誠実に源泉を配湯するとすれば十分な湯量であろう。

 以前に騒ぎになった一連のまゆつば温泉騒動の中にも含まれてしまった宿が残念ながら幾つかあったのは事実である。
 温泉地にとって湯量はその地の命に等しいし、それによってその地の実力や人気が左右されるのは、いさしかたのないことであろう。しかし私は決してそれによって自分のその地に対する評価や愛着が決まることはない。
 むしろ湯量が少なくとも、湯量に合ったしかるべき施設で歴史を保っているところにより愛着を感じるし、またリピートしてしまう。

 私は別に温泉評論家というわけではないので、偉そうなことは言えないが、逆に実際の湯量を無視して、湯量より客量≠優先した入浴施設を造ってしまうのが問題なのである。
 そういった宿が今となって行過ぎた経営根性のツケを味わっている現状であることは以前にも書いた。

 たしかに、一企業として「発展させる」「成長していく」という意味での経営意識は素晴しくかつ重要なことだが、根本たる、また自らに命に等しい湯そのものと、それとは別の問題とも思えるのである。

 ユムラ銀星の湯は浴槽自体は小さいが素晴しい湯であった。これでどこもかしこもが、とんでもなく大規模な施設を造ったりしたらまた変わってしまうかもしれない。
 ただ、温泉地を維持し、また発展させていくには、「せざるをえない」こともあり得るかもしれないであろう。そしてその辺の突っ込んだ話はこの後、この宿の女将さんからじっくり聞くことになる。

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 湯村は歴史こそ古く、山梨県では数少ない弘法大師伝説に彩られた温泉地である。ただ、下部や増富のように風光明媚な自然景観があるわけではない。実際私もバス停に降り立った時、「ここが温泉?」(失礼!)と思ったほどだ。

 しかも、(ここが大事なのだが)湯治場としての位置付けが非常に中途半端な状況であることは否めない。下部などはリピートの湯治客に支えられている要素が大きいのだ。
 その辺のことを女将さんに聞くと、やはり湯村も以前は湯治温泉としての伝統がもっとしっかりしていたそうだ。たしかにお湯自体は湯量も豊富で、その効能も温泉病院があることに証明されるように非常に高いのは間違いない。

 ただ、女将さんが半ば嘆くようにもらしたのは、ここ数十年のあいだの各旅館の跡継ぎに問題があったということである。はっきり言って「何も考えてない」のだそうだ。「それはうちを棚に上げているようにもなりますが‥」とやや自嘲ぎみに話してくれたもの事実だが‥。

 この宿の向かい奥に『湯村ホテル』という大きな鉄筋の宿がある。そこの今のご主人は唯一非常に今後の湯村について意識的に取り組んでおり、いわば孤軍奮闘状態だいう。

 一例を挙げると、市街地という立地を逆に生かしてビジネス利用のお客さんに同等の料金で温泉旅館の情緒やサービスを提供する。それにより今までにない新しい客層を開拓しているという事である。

 なるほどビジネス利用ならリピート利用にも繋がり易い。出張にきた時など、普通のビジネスホテルのユニットバスに浴するではなく情緒ある天然温泉に浸れるのだ。自分だってそっちの方がイイな、と思ってしまう。

 湯治文化云々とはちょっとかけ離れているが、素晴らしい目の付け所だといえるではないか。しばし感心してしまった。

 湯村ホテルのご主人はその他様々な戦略を実践しているようだが、いかんせんあくまで孤軍奮闘であり、他の旅館の跡継ぎ達は、古い伝統に乗っかっているだけでなにも考えてないのが現状ということである。女将さんの話はまさに悲喜こもごもであった。

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 紀行ライターD氏の文章を読み、湯村温泉活性化策を勝手に無責任に考えてしました。

 米軍に採用された特許技術の骨伝導製品も、こんな温泉場で体験できるなら、それはそれでうれしいのでは?
 部屋の受話器を骨伝導に代えて。高齢者の会話をスムースにしてみる…

骨伝導受話器きくテルの画像


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骨伝導きくテル 機能図


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 耳が遠くなったので、周囲の音・声をよく聴きたい!
 でも補聴器までは‥‥大げさすぎるし‥‥

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きくちゃんと補聴器について


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 湯村温泉と骨伝導の組み合わせはいかがですか?
 今度、紀行ライターD氏に尋ねてみましょう!

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 女将さんが持ってきてくれた写真集を見る。女将さんも多少ホロ酔い状態でいろいろ説明してくれる。

 今温泉病院のある場所には、千人風呂という共同浴場があったこと。(病院の建物のてっぺんは六角形のデザインになっているが、それは千人風呂を偲んだものらしい)

 ここユムラ銀星は以前は銀星館といい古い歴史があること。(改築時の写真が出ていた、昭和二十年代のものらしい)その他様々である。

 写真をみるとこの宿を含めて改めてこの地の歴史の重さを感じる。また、その歴史を継承しながらも、今後の伝統づくりに真摯に取り組んでゆかねばならない。女将さんの話の端々には、その意識の強さゆえ、情念のようなものさえ垣間見えたような気がする。

 ロビーの時計を見るともう1時40分、さすがにお隣さんの前夜祭も終わっているだろう。女将さんに付き合ってもらったお礼を申しあげ、私も明日に向けてやっと就寝することにした。

関金えぐ芋伝説と骨伝導の温泉旅情

えぐ芋と弘法大師伝説


 山陰の名湯を骨伝導とともに散策する旅は終わりません。
 紀行ライターにして伝説のドラマーであるD氏の旅です。

     》》 前回は「山陰関金温泉の骨伝導旅情」
 
 舞台は関金温泉の旅館からです。

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 温泉街の端っこの方に「えぐ芋広場」なるところがあり、そこで「えぐ芋の話」というのを見たのであるいはそれかなとも思われるが、はたして・・・。
 奥方は笑いながら快く丁寧に話してくれた。やはりその「えぐ芋伝説」である。

 今から1250年ほど前のこと、一人の老婆が関金宿(湯関村)の湯谷川で芋を洗っていると、みすぼらしい身なりをした一人の旅の僧がとおりかかった。旅に疲れたとみえるこの僧は、たいそう腹をすかせていたのか、「もし、お婆さん。その芋を少しわけてくださらんか」と、声をかけた。僧のあまりのみすぼらしさにお婆さんは無反応。
「のう、お婆さんご無心じゃがの。腹がすいて・・・」問いかけるのを、押さえつけるように、「この芋はなあ、みかけはうまそうなけど『えぐ芋』といって、初めての人には口がいがむほどえぐうて、とても坊さんの口にあうものでは・・・。」よくばりな婆さんは、ていよく断った。「ほう、えぐ芋・・口がいがむのでは助からぬ、いやおじゃまさま。」

 すげなくことわられたが、旅の僧はおだやかな笑みを残し、静かにその場を立ち去った。
その笑みが、まるで相手の心を見抜いているようで、婆さんはいたくカンにさわった。坊さんのうしろ姿にするどい口調で、「何がおかしい、乞食坊主めっ。こんなうまい芋を、お前なんかに食わせてたまるか!」婆さんは、坊さんへのつらあてのように、芋を思い切りかじった・・。

 ところがどうしたことか、まさに舌もまがるほどエグい!婆さんは顔をしかめ、そんなはずはないと、ほかの芋を口にしてみるが、次の芋も、次の芋も・・・・
婆さんは気が違ったように残った芋を全部川に投げ捨ててしまった。

旅の僧はその夜、村の宿坊に泊まった。翌日、谷川で顔を洗っていると、冷たい流れの中に湯けむりのが立ち、ほのかなぬくもりがあることを感じた。僧が霊感により、源泉の位置を示し 錫杖を谷川に投げ込んだその場所を村人が掘ってみると、温泉がこんこんと湧き出した。
それは、それこそ女人が入浴すれば、肌を覆わなければならないような、無色透明のきれいなお湯であった。旅の僧は、宿坊の住職の請いをうけ、この地を訪れたしるしに錫杖を境内に立て、次の巡札へと旅を続けたとさ・・・。


 語り部口調の奥方の話を要約するとこんなところ。旅の僧はいうまでもなく諸国巡礼中の弘法大師であろう。僧が残した錫杖は、やがて芽をふいて巨大なはねりの木となったが、昭和の初めに切り倒され、現在では切り株も残っていないという。

 婆さんが投げ捨てた芋は、今でも谷川に自生しており「関のえぐ芋」として知られるに至ったそうで、例の「えぐ芋広場」周辺でもそれらしきものが確認できた。
  
 なんだか伝説というより“日本むかし話”といった感じだ。弘法大師ゆかりの温泉には、様々な伝説があるが、こんな素朴な“でんせつ”があってもいいと思う。

 ただ気になったのは、この話だけを聞くと関金温泉の発見者はやはり弘法大師だったようにも聞こえる。仮に既に湯は存在していたとしても、実際はあってなきが如しだったのかもしれぬ。そう考えると、やはり関金温泉の本当の意味での歴史の出発点は弘法大師だったのかもしれない。

 後で宿からやや奥まった所にある「関の地蔵尊」の住職から聞いたりしたが、ここの湯の発祥はやはり行基であるとか、実は鶴が見つけたとか、様々な説があるらしい。住職は弘法大師であって欲しい口ぶりだったが、別に弘法大師に肩入れするワケではないが、私もやはりこの説を信じたくなる。

関の地蔵尊


 しかし話の中で大師を欺いた婆さんはその後どうなったのだろう。改心して関金発展に努めたのか?はたまた相変わらずのケチな婆さんのままで一生を終えたのだろうか?

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 温泉旅情の裏側には伝説に彩られた歴史というスパイスがあります。えぐ芋伝説もそうかもしれません。

 骨伝導を使い、耳からでは聞こえない音声を聴いていると、そんなスパイスも絶妙な味が感じられてきます。

 弘法大師の伝説といえば『弘法倶楽部』ですが、そんなところに大師の法力や霊力が隠れているのを発見する場かもしれません。

     》》 弘法倶楽部オフィシャルページ

 そして骨伝導の威力によって、温泉旅行も大きく変化していくかもしれません。

     》》 骨伝導専門「骨で聴くドットコム」

 温泉と弘法大師の伝説に包まれた山陰の関金温泉には骨伝導のヘッドセットとともに出かけたい、そう思う今日この頃です。 

相川温泉の音色と骨伝導

神秘の相川温泉と骨伝導


 茨城県と栃木県との県境近く、茨城県側に御前山県立自然公園があります。周囲は杉林に囲まれた山の中です、
 人家がなく、静寂と霊気が漂う山間部、ここに秘湯・相川温泉があります。文字通りの秘湯です。

 ここには弘法大師・空海の伝説が残っています。
 弘法大師・空海が杖で地面を付いた所に湯が湧き出たと言う伝説で、全国に広がる弘法大師の温泉伝説の典型といえます、
 ただここの源泉の井戸には、底に弘法大師が刻んだという経文を梵字で刻んだ軽石が埋められているといわれます。

     》》 弘法倶楽部の復活!!

 弘法大師の霊力・法力のある温泉は、それだけで大きな意味が生じます。

相川温泉と弘法大師


 骨伝導の威力と弘法大師伝説の温泉の組合せは、過去にも多く例があります。温泉紀行ライターのD氏も弘法大師伝説の温泉と骨伝導の魅了された一人といえます。

 D氏がここを訪れたのは冬です。
 東京から茨城県の霊跡地と秘湯を廻りました。

 骨伝導のヘッドセットや骨伝導サングラスがあれば、クルマのBGMで般若心経でも聴きながらといった旅でした。

 相川温泉は温泉の情緒や旅情を掻き立てる場所ではなく、霊力の漲る場所として認識しました。ここではあらゆる時間が聖なる音を発し、一定のリズムで弘法大師の奏でる法力と調和していました。

 湯は無色透明。
 入った瞬間からこれが温泉だと分かる湯ではありません。ある意味、家庭の大きな湯船のようです。

 しかし、

 徐々にではありますが、全身へとパワーが伝わってきます。まるで骨から脳へと直接的に音声が伝達される骨伝導のようです。
 このときD氏が骨伝導に触れていたら、この感覚を弘法大師の霊力・方力による骨伝導パワーだと認識したかもしれません。

 では、その骨伝導とは?

 弘法大師の時代にはなかった現代の奇跡です。


     》》 骨伝導専門サイトへ

 相川温泉には、骨伝導と弘法大師がよき似合う。結局これが結論。
 

山梨周遊温泉旅と骨伝導

山梨周遊温泉


「山梨県の温泉は名のある所だと武田信玄、いわゆる『信玄のかくし湯』と呼ばれる所が殆どで、弘法大師ゆかりの温泉は殆ど聞かない。というより私は『ない』と思っていた。
西日本だけではなく甲信越及び東日本に於いても、前号での茨城をはじめ各県ごとに点在しているが、山梨の湯は信玄のイメージが強過ぎるせいか弘法大師の存在をまったく見出せなかった。(私の勉強不足に他ならないが…)
前回の山陰とは違い山梨は東京からも割りに近く、私の温泉行脚の中でもいわばホームグラウンドのようなエリアである」

 と、温泉紀行ライターのD氏が書き始め、未完のままで終わった原稿があります。いわば幻の温泉紀行です。
 タイトルは「弘法大師ゆかりの湯と秘説の湯 山梨周遊編」です。

 連載は『弘法倶楽部』でした。
 激動の運命に翻弄され、惜しまれて廃刊した雑誌ですが、今回、インターネット上で見事な復活を致しました。D氏の幻の原稿もアップするとこが決定し、秘湯ファンにはたまらない状態になりました。

   ⇒ 弘法倶楽部「弘法大師伝説をたずねて」

   ⇒ 弘法倶楽部「弘法大師ゆかりの湯と秘説の湯 山梨周遊編」

 さて、そこで骨伝導です。
 当時、骨伝導の威力を知らなかった紀行ライターD氏ですが、その後、骨伝導と出会い、現在は音楽活動へと活躍の舞台を移すこととなりました。見事な転進です。

 耳からだけではなく骨からも伝わる音声は、温泉との相性だけでなく、当り前ながら音楽にも意味があります。

 この後の展開が楽しみです。

   ⇒ 骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」

 山梨の温泉と弘法大師と骨伝導、何だかいい雰囲気です。


   

山陰関金温泉の骨伝導旅情

山陰関金温泉骨伝導旅情


 山陰地方にも春が訪れます。
 湯村温泉から関金温泉へと骨伝導サングラスと紀行ライターD氏の旅は続きます。

 前回までは、

 チェックマーク 骨伝導山陰旅情

 チェックマーク 餘部の哀切旅情 骨伝導編

 チェックマーク 山陰湯村温泉 骨伝導旅情

 チェックマーク 山陰湯村温泉の骨伝導旅情 続き



 全国の名湯・秘湯を知り尽くすD氏が、関金温泉について語ります。

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 翌日、湯村に別れを告げ再びバスの人となる。

 今度来るのはいつになるだろう。ただ、もうその度に懸念するのはやめようと思う。

 考えてみれば、湯村温泉は、慈覚大師が最初に発見して以来、千百五十年の歴史がある。四年間は確かになめてはいけないが、やはりほんのわずかの間であろうし、これからも小さな変化を孕みつつも、悠々と生きていくに違いない。

 浜坂から鳥取行きに乗る。今日はいよいよ最終目的地、関金温泉へ。
 関金温泉は三朝温泉と共に、山陰の名湯と言われている。三朝は入湯済みだが、関金はまだ果たせていない。共に歴史が古く、共に泉質がラジウム泉という点も共通している。いつかは行かねばならぬと思いつつ、冒頭書いたように、なかなか機会が見出せなかった。

山陰本線の平野部車窓


 餘部前後では、トンネルと断崖絶壁を交互に走っていた山陰本線も、鳥取で「鳥取ライナー」に乗り換え浜村の辺になると、平野部が多くなるせいか車窓からの景色も随分印象が変わってくる。

 断崖絶壁の車窓からは、荒々しくもかつ荒涼とした姿をみせていた日本海も、ここでは落ち着き穏やかな表情に変わっている。私が幼い頃から慣れ親しんだ太平洋とも、また違った表情の豊かさを感じた。

 関金へは、倉吉からバスで約35分。倉吉からのバスは三朝行きと関金方面行きの各々が出ている。6年前倉吉に降り立った時は三朝行きに乗った。

 倉吉の駅前は割りと新しくこざっぱりとしており、なんだか東京周辺の新興住宅都市の駅ターミナルみたいな感じ。おそらく市の中心部は駅からやや離れたところにあるのだろう。駅自体はやはり三朝と関金の玄関口という印象だ。
小鴨川に沿ってバスに揺られ、蒜山三山が徐々に迫ってくると間もなく関金温泉に着いた。

 国道沿いにバス停がぽつりとあり、どこが温泉街か?

 一瞬戸惑う。

 多少うろうろするが、標識に従い車がやっとすれ違えるくらいの路地に入るとそこが温泉街の入り口。いわゆる中心部というのもがありそうな雰囲気ではない。

 宿は私が泊まる鳥飼旅館を含め七件のみ。昨日の湯村と比べても規模は小さく、人はまばらである。
 バスから降りたのも、私以外はお年寄りの夫婦が二組とあとは地元風のおばさんが二名ほど。予想はしていたが温泉地的な要素よりも、より湯治場としての雰囲気を強く感じとった。例によってフラフラ散策を開始する。

 関金温泉は千三百年の歴史があるが、最初に発見したのは行基である。弘法大師ゆかりの温泉というと、弘法大師によってその歴史が始まったところが大部分を占めると思うが、ここは弘法大師により“再興”されたということになっている。
 ただ温泉の歴史そのものは行基から始まっているものの、本当の意味で関金の地から湧いた湯が“関金温泉”になったのは弘法大師からではないか?という憶測も出てくる。その辺の基話(モトバナシ)も聞いてみたいものだと思った。

 だらだら登る細い道の両側に民家や、みやげ物屋とも日用雑貨屋とも見つかぬような店が肩を寄せ合いたまに旅館が混じっている。やはり観光温泉地というには生活的だ。
 関東周辺で例えると群馬県の湯宿温泉に近い雰囲気。言ってみれば本当の湯治というのは半分生活なわけで、これが本来の湯治場のあるべき姿だと感じる。

関の湯

 
 温泉街もかなり奥まったところに共同浴場「関乃湯」がある。湯村温泉の薬師湯は鉄筋の温泉会館であったが、ここの外観は民家風の建物で玄関の上に「関の湯」の看板がかかっており、まさに“湯小屋”という雰囲気。

 明治34年以来の古くからの外湯で、自分もある程度の予備知識は持っていたが予想したとおりではあった。玄関戸はガタピシと開けるようなイメージがあったがサッシに変わっている。中に入るともっと予想と違った。
 木の香りも新しいこじんまりした待合。番台にはニコニコ顔のおばさんが座っている。無人の湯小屋然とした想像が覆されてびっくり。聞くと、今年の九月に改装されたらしく、それ以前は私が予想したような感じがずっと続いていたらしい。おばさんにとっては本当に念願だったようで、実に嬉しそうに話してくれた。

 入浴料二百円也を払いソロリと入ると男女別に仕切られた清潔な脱衣場の奥に浴室がある。
 浴室はこじんまりとしていて三〜四人で一杯になる檜作りの湯船がある。ここはさすがに自分本来のイメージ。洗い場はない。無人。存分に湯を浴びた後ゆっくり湯船に身体を沈める。ジャスト適温。四十六度の源泉は無色透明、無味無臭。温度調整され懇懇と溢れ出している。もったいなきこと限りなし。初入湯の喜びと湯の快適さに浸りしばし瞑想。

 泉質は三朝と同じ単純放射能泉。ラジウム自体には、匂いや色の要素はなく、入った感じは普通の単純泉のようだ。ただラジウムは湧出後ラドンとなって気化するので、浴室を密閉することにより吸入効果が得られるそうだ。特に肝臓病や痛風によいとのこと。

 そういえば関東周辺のラジウム温泉としては数少なくかつ名高い山梨の増富ラジウム温泉には、いわゆる露天風呂というものが殆どなかったような気がする。
 温泉の恩恵だと思われるが、この三朝、関金周辺は平均寿命が全国でも屈指だという。今もなおこのラジウムの恵みは、内外の湯治者を支えているようだ。

 調べてみるとこの周辺の温泉は三朝、関金以外でもラジウム成分が多少なりとも含まれているところが殆どである。ちなみにこの東伯郡の東南、中国山地の中程に「人形峠」というかつてのウランの産地として有名なところがある。おそらくその影響を受けた地下鉱脈がこの一帯に広がっているのであろう。ただ人形峠の反対側にある、岡山県側の奥津温泉をはじめとした美作三湯にはいずれもラジウム成分は殆どと言ってよい程ない。影響を受けた鉱脈は山陰側だけに展開しているということだろうか?

 そんなことを考えているうちに、もう40分も浸っていた。結局最後まで誰もこなかったが、初入湯の成果は充分過ぎるものであった。

 湯上りにまた番台のおばさんから話が聞けた。ここは当初湯治目的で三朝に行っていた人が「三朝の湯は熱すぎる。」とのことで移ってくるケースが結構多いらしい。
 なるほど三朝はたしか源泉56度くらいで自分も相当熱かったと記憶する。三朝の湯も効能は確かなはずだが、これはまた別問題であろう。

 ただ、せっかく移ってくる人がいてもその中心たる「関の湯」があまりにもボロでは・・、という苛立ちとも悔しさとも言える思いがあったようだ。自分などはいたずらに改装や建替えで変っていくより、古くともそのまま歴史を証明していて欲しいとついつい思ってしまったりするが、実際に湯を守る当事者にとってはもっと現実的に立派であって欲しいと願うものなのだろう。

 実際肝心の湯がしっかりしているのであれば、これは当たり前のことだなと改めて思う。おばさんの笑顔に同調し自分も多いに喜び、楽しい時間を過ごすことができた。

 どうも「関の湯」には長く居過ぎた。冬の陽は短くアッという間に暮れてきた。他にもいろいろ観たいところもあるが、ともかく本日の宿鳥飼旅館に向かう。なにかと課題を残してしまいがちな旅だが、これもいつもの自分の旅のパターンだと無理矢理自分を納得させる。内心自分に甘いと分かっていながら・・・。

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 骨伝導サングラスが似合う山陰関金温泉の旅情はますます深まるばかり。骨から脳へと繋がる回路は、山陰の湯煙に溶け込んで、ますます旅人を癒し空間へと誘います。

 BGMや携帯電話の通信も骨伝導で行います。
 山陰の紫外線も強くなりつつあります。そんなとき骨伝導サングラスの威力が発揮されます。

 ⇒ 驚異の技術・骨伝導サングラス!

 紀行ライターD氏と骨伝導、それに山陰旅情、この好評シリーズはまだまだ続きそうです。


山陰湯村温泉 骨伝導旅情

骨伝導と湯村温泉旅情


 骨伝導の特許技術を伴っての山陰の旅は、餘部から湯村温泉へ移ります。骨伝導音声増幅器の「きくちゃん」とともに、紀行ライターD氏の旅情は続きます。

 ⇒ 前回の餘部はこちら

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 予想はしていたが、餘部ホームへの登りはけっこうキツかった。しばらく山登りもしてなかったし、かなり体力も落ちているかもしれない。

「土地のお年寄りもみんなこれを上がったり降りたりしてるのか。」

 と思うと、なにか底力の違いを感じる。
 息がやっと整ってきた頃に、浜坂行きが、ホームに入ってきた。時計を見ると3時半過ぎ。湯村には4時半頃着予定。
 冬は暗くなるのが早いので、できればもう少し早く着けるのが理想だがまあしかたがない。

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 湯村へは、浜村よりバスで約25分程、「夢千代日記」では、海が間近な印象で描かれていたが、実際にはかなり山峡に入っていく。
 国道9号線を岸田川に沿って福知山方面に南下し、峠を幾つか越えると三方を山に囲まれた谷間に湯村温泉が見えてくる。

 時計を見ると、午後4時35分。
 ちょっと遅れ気味。

 やはりけっこう暗くなってきた。徐々に街に灯が入り始め、夜景への準備を始めているこの光景は4年前と同じだし、ドラマのメインテーマの最後に出てくる映像もこんな感じだった。先ほどの餘部のワクワクとは違い、なんとなくホッとしたような気持ち。

 バスは温泉街の周りをうかがいながら今日の宿寿荘の横のターミナルらしき所に着いた。

 ここが終点、湯村温泉。

 中心街からはやや離れているものの、バスから降りるとすぐに私の五感は荒湯からの湯けむりをキャッチした。

きくちゃんと湯村温泉


 さっそく中心街に足を向ける。4年前とおんなじ。
 まずは周りをグルリ見渡す。春木川を挟んだ源泉の荒湯。川に架かる薬師橋。そして、橋のたもとの共同浴場「薬師湯」。今回の旅の冒頭“4年の月日をなめてはいけない”懸念が徐々に解け始めていくのを感じる。心体(からだ)に残っている以前の情景を浮かべながら散策を始めた。

 荒湯では相変わらず観光客に交じって、エプロン姿のおばちゃんが卵を茹でている。観光客も生卵を買って一緒になって茹でているのがなんとも楽しそうで微笑ましい。

 荒湯は揺るぎない湯村温泉のイメージだが、温泉の規模自体は城崎のように巨大ではなく、荒湯を中心にした箱庭のような感じだ。周りを山で囲まれているので、さながら箱庭のような小さな国といったところ。この情景やイメージが「夢千代日記」の湯の里温泉になったのだろうか。

 湯けむりをもうもうと吐き出す荒湯の源泉温度は98度。
 飲泉場で長柄びしゃくで源泉を汲んで茶碗に入れおもむろに飲もうとするがなお熱い。なんせ生卵ならものの15分くらいで茹で上がってしまうのだもの。
 また熱いだけではない。ここの名物で「荒湯豆腐」というのがあるが、この熱湯に豆腐を入れて茹でると温泉成分の作用で絹ごし豆腐のようにきめ細かくなるという。長い歴史の中で、いわゆる温泉業だけではなく、人々の生活の中にも温泉の恩恵が生き続けているのは間違いない。

 NHKの「ふだん着の温泉」ではないが、こういう地は本当に愛する者にはこれからも永劫愛され続けるだろうし、またそうであって欲しい。

 荒湯から、春来川に沿ってやや南に行くと夢千代広場がある。その中心に吉永小百合をモデルにした「夢千代像」が立っている。この銅像の台座は世界平和を願って広島市から寄贈されたものだという。台座の真ん中には

「 祈 恒久平和 」


 とある。今の世界情勢を考えると胸が痛むが、かすかな微笑をたたえた夢千代像の表情は、餘部でみた観音像の表情とだぶってみえた。
 NHKで放映された「夢千代日記」は、“ドラマ人間模様”というサブタイトルが付いていただけに、夢千代以外にも様々な“なにか”を内包したキャラクターがドラマを創っていた。

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 湯村温泉の湯煙には音がないのでしょうか?
 難聴者には聴こえない程度のかすかな大地の息吹が発せられ、山陰の鄙びた温泉旅情のBGMになっています。

 これを米軍で採用された特許技術を使い、湯煙を聴きます。難聴者だけでなく健聴者にとっても意味のある行動です。

 冬の山陰地方は暗いイメージが付きまといます。
 しかし、このBGMは太古より続く、地球のリズムかもしれません。
 骨伝導の活用法に新たなページを湯村温泉は提供してくれているようです。

 ⇒ そこですかさず骨伝導専門サイトへ

餘部の哀切旅情 骨伝導編

山陰本線で骨伝導


 骨伝導山陰旅情の続きです。

 ⇒ 前回はこちらです。
 
 山陰本線の奏でるディーゼル音と冬の日本海の波の音。
 この旋律が旅情を誘い、骨伝導の旅が続きます。

 さっそく紀行ライターD氏が雑誌に記載した部分を引用しましょう。

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 さて、城崎を出た気動車は香住あたりで、いよいよ日本海と出会い、真っ暗なトンネルと、どんよりとした海の景色を交互に見せ始めた。今にも泣き出しそうな空模様。


 乗客は私のまわりでは、先ほどの野菜のおばーさんとあと2〜3人程。みな地元の人ばかりであろう。なんとなく旅行者フゼイは私だけか。鎧という無人駅を過ぎいよいよ餘部に差し掛かる。四年前は通り過ぎてしまったが、今回は降りる。そして初めて外から見上げるのだ。なんだかワクワクしてきた。

 ドラマのメインテーマどおり、トンネルを抜けいきなり空中に飛び出したような錯覚に陥ると、気動車は餘部鉄橋の上である。

 真下は餘部集落。
 少し視線を前に向けると相変わらずどんよりした日本海。餘部(余部でもよいらしい)駅はその鉄橋を渡りきったところにある無人駅である。ホーム上にはトイレ付きの倉庫のような待合室と電話ボックスがあるだけ。結局私以外は誰も降りなかった。

 すごいのは、駅の出口(と呼んでいいのか・・)からいきなり登山道のようになっているのだ。

 三方が山で残る一方が海という土地。
 駅から集落へは長い階段と山道を延々と降りてゆかねばならない。集落は谷の下にあるからだ。山陰線はその谷を越え鳥取方面へと伸びてゆく。その谷を越えて架かるのが「餘部鉄橋」なのである。

 駅の出口付近には、鉄橋を描いた古びたペンキ絵がある。鉄橋の下を子供が数人歩いている姿が描かれているようにみえる。昭和三十四年地元住民の請願によって実現した駅の建設の様子を描いたものだという。ところどころペンキの剥がれた絵を見つつ当時の情景を思い浮かべたりした。

 出口とは別にホームの裏側から、裏山へ上がって行く道があり、興味を憶え上がってみた。3分ほど行くと、なにやら餘部鉄橋を見下ろす展望台のような所に着いた。
 土はぬかるみ倒木なんかもあって足場はよくない。ただ、改めてそこからの景色に眼を向けると、思わず、

ウオォー!!

餘部骨伝導

なんとすばらしい眺め!!


 斜め下に鉄橋を見下ろし、後ろにトンネルが口をあける山。そしてそれらを露払いにして雄大な日本海が広がる。

 ここではさすがに“どんより”という形容はあてはまらない。これであの機動車が鉄橋を渡っていたら、鉄ちゃん写真家にとっては絶好のポイントになるだろう。しばし飽かずに眺め入ってしまった。

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 このときの絶叫は、紀行ライターD氏の耳だけでなく骨からも伝わりました。骨伝導の威力によって、自らが発した感激の声と、日本海の風の音が脳へと伝わったといいます。

 難聴者ではないD氏ですが、このときほど骨伝道の秘められたパワーを思いしったことはないそうです。

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 後ろ髪引かれるように再びホームへもどる。

 駅を出るとすぐに登山道?は二つに分かれる。案内表示に従うと、手前の道を行くと坂を緩やかに下って餘部集落の外れへ、奥の道を行くと餘部鉄橋の真下へ出るらしい。

 できれば一泊くらいして隅々まで散策し、餘部を存分に吸収したいが、今日は湯村まで行かねばならない。時間の問題でやむなく奥の道を選ぶ。
 手擦りつきの遊歩道のような道を下っていくと、ちらちら見える集落が徐々に近くなってきた。こんどは逆に鉄橋を見上げる立場になってきたが、降り切るまでは敢えて眼をそむける。

 やがて鉄橋の真下、餘部集落の中心部に到着した。駅出口から約7分程かかった。改めて見るとなんだかただの登山口のようで、案内表示がなかったらこの坂道の上に駅があるなんて多分わからないだろう。

 周りを見渡すと、餘部の漁村集落がひっそりと佇んでいる。

餘部漁船


 木造平屋建ての家々の間を素朴な潮の香りが吹き抜ける。
 つげ義春の漫画に出てきそうな風景。夏は磯遊びや釣り人で賑わうらしいが、オフシーズン(冬場)は地元の人だけの静な時間が流れているようだ。

 いよいよ鉄橋を見上げる。・・!!!・・。

 思ったより華奢にできている・・。今の今まで散々頭の中では想像し、想いめぐらしていたが、すぐ言葉になってくれない…。やはり、しばらく呆然として見上げ続けるしかなかった。

餘部鉄橋


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 山陰の旅情は餘部で大きな衝撃を与えたようです。
 難聴者だけでなく骨伝導の有効活用はまだまだありそうですが、こんな旅情の中で耳では聞こえない音を聴くのも悪くないようです。

 ⇒ 骨伝導総合情報のサイトへ

骨伝導山陰旅情

山陰線と骨伝導


 冬の山陰地方には独特の風情があります。
 ある人は暗さを強調するかもしれません。またある人は日本の原風景を見出すかもしれません。
 山陰本線の奏でるディーゼル音と冬の日本海の波の音が混ざり、耳からでは聞き取れないような独特のメロディにっているかもしれません。この旋律を骨伝導を使って聴いてみませんか?

 紀行ライターD氏が雑誌に記載した部分を引用します。

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 やがて、終点城崎。
 思った通り乗客の殆どは改札を出てしまい、ホームに残ったのは私と、野菜をどっさり担いだ地元風のおばーさんだけ。

「きのさき」の停車しているホームの反対側に、キハ四十系の旧国鉄時代の老兵が待機している。

 濃いえんじ色の車体からは

「ン・ガ・ガガガ〜」

 というアイドリング音を響かせ、健在ぶりを誇示しているのが頼もしい。電車特急からこの気動車に乗り換えると、いよいよ山陰本線の本領発揮ということになる。乗り換え時間わずか10分足らずの間で、周りの環境がガラリとかわる。いつ来てもこの変化はかわらないし、また、たまらなく好きだ。

 やがて、発車ベル(古メカシイ!)に呼応するように、元気な老兵は一層アイドリング音をパワーアップして重々しく動き始めた。

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 この音を骨で聴くと、どうなるでしょうか?
 答えは簡単です。
 耳で聞くのと変わりません。ではなぜ骨伝導を使うのか? どこにそんな意味があるのか? 疑問は当然です。
 ここに付け加えることは老人性難聴です。

 高齢化社会の中で、ディーゼル音がよく聞き取れないのは危険です。その手助けとして気軽な補聴器代わりとしての利用が意味を持ちます。

 補聴器仕様もあるほどですから(骨伝導補聴器きくちゃん ⇒お手軽フルセット用に音声増幅器きくちゃんはこちら)、耳でも骨でも違和感なく聞こえて当然です。

 そして、骨で聴くことで脳波にも影響を与えます。(⇒聴くと脳との関係はこちら

 再び引用します。舞台は餘部です。

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 実は今回湯村へ着くまでにどうしても寄りたいところがある。
 餘部である。
 理由は二つ。私は過去3回このルートを訪れているが、いずれも餘部は通過しただけである。餘部鉄橋はそれ以前より是非行きたいところの一つだったが、当時は鉄橋の上からの車窓の眺めだけで結構満足していた部分もあったと思う。
 自分は山歩きとかも好きなので、特別「高所恐怖症」ではないが、たしかに地上41メートルと言う高さからの車窓の眺めは、思わずお腹がキュっと絞られるような感覚だったのを憶えている。

 ただ、1年程前だったか(当時)、この餘部鉄橋も新橋への架け替え工事の計画が進んでいることを何かの情報で耳にした。早ければ平成22年頃の予定だと言う。

 考えてみれば、昭和61年の列車転落事故(後述するが)など、この鉄橋はある意味味わい深い観光名所であると同時に、痛ましい歴史も数多く孕んでいる。

 現役の輸送建造物である以上、温泉のように「従来の姿を保って・・」と言う訳にはいかないであろう。6年なんてあっと言う間に過ぎてしまう・・。

 なんてことを考えているうちに、「今の姿を保っているうちに一度外から眺めておきたい・・。」と勝手に思うようになったのである。

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 山陰の温泉紀行は続きますが、この旅情と骨伝導との関係に少し触れただけで次回に続きます。

 》》 骨伝導最新製品はこちら

秩父の鉱泉旅行と骨伝導

秩父鉱泉浴槽


 温泉旅行と骨伝導との関係は、想像以上に相性が良いようです。
 なぜか?

チェックマーク 骨に沁みる温泉成分と骨で聴くことの関係

チェックマーク 非日常性の中で耳では聞こえない音を骨で聴くこと

チェックマーク とにかくよく聞こえることの快適性

 何だか無理やりのような気がしますが、上記のようなわけで、秩父の有名でない秘湯をたずねます。紀行ライターD氏の雑誌未掲載分を特別に公開します。

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 陽が傾く時間になると同時に、またどんよりした天気が復活してきました。
 今日はこの後吉田町のかおる鉱泉に宿泊する予定ですが、その前に、8年前秩父観音山とセットで訪れた千鹿谷鉱泉を再訪してみることにしました。
 ただ前回からは8年も経っており、特にこういうあまり知られてない鉱泉の場合、

 廃業していたり、

                ではないにしても

   無人状態

 だったりすることが多々あるので、事前に行く旨を電話連絡しておきました。
 電話に出られた方には、前回もてなしていただいたおばあさんと同じ声が感じられ、とりあえずホッとした次第でした。

 観音院の余韻を残しつつ、軽自動車『ムーヴ』は299号から県道283号を北上する。途中から群馬県の神流町方面に抜ける県道71号をゆくと徐々に見憶えのある風景になってきた。やがて

    『 → 千鹿谷鉱泉 』
の古びた看板に従い小さな路地を入る。

 実は前回も同行はM氏であった。彼は今回運転を引き受けた為の若干の疲れの差からくるのか、入湯は控えて車で待っているそうだ。

   うーん、結構観音院の坂がコタエたのかな?

 道はやっと車が1台すれ違えるくらいの幅になり、やがてその道沿いに千鹿谷鉱泉の佇まいが見えてきた。


 この辺では他に民家はない。

相変わらず「歴史を感じる」「鄙びた」「寂れた」の3つの要素が絶妙に入り混じった佇まいである。

 M氏を車に残し中にはいる。なかなか程よく雑然とした玄関。
しかし…、事前に電話連絡しといた筈だが…、

「ごめんくださーい」

  に対してまったく応答なし。

千鹿谷鉱泉



 そしてよくみると、来る予定の人それぞれに書き置きがあるのに気が付いた。

「いらっしゃいませ○○様。お部屋は2階の○の間です。御入浴も御利用ください。」……。

 なるほど、しかしここまでは予想していなかった…。

考えてみれば、おばあさんが基本的に一人で切り盛りしている宿である。まあ、あり得ることではあるではないか。おばあさんに関して印象に残っているのは、

 腰が90度に曲がっているにもかかわらず、ニコニコしながら重い夕食の食器をスイスイ運んでいたことである。

 健在ぶりを願うとしよう。

 せっかくなので、入浴料とともに来た旨を書き置きし、8年ぶりに千鹿谷鉱泉に浴することにした。
 相変わらずのこじんまりした浴室にきれいなアルカリ泉が注がれている。

 この湯はいわゆる『秩父七湯』のなかでも最古の湯であり、発祥は江戸時代にも遡る。前記した3要素のうち「歴史を感じる」に関しては偽りなしである。

 そして湯自体は、本当に独特の肌触りで、相当アルカリ成分が強い。すごいヌルヌル感。

 秩父の湯はどちらかというと、普通のサラサラ泉が殆どなのでいっそう異彩を放っている。やはり、しばし長湯をしてしまった。
 入浴後、誰もいない玄関に“一礼”し宿を出る。車に戻ると、M氏は、運転席でスヤスヤと眠りこけていた。(笑)

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 骨伝導のシーンが出てこなかったことにお気づきだと思います。
 しかし今回の場合、骨伝導が本当に活躍するのは宿側かもしれません。「腰が90度に曲がっているにもかかわらず、ニコニコしながら重い夕食の食器をスイスイ運んでいた」おばあさんが基本的に一人で切り盛りしているという状態は、ついつい手を差し伸べてあげたくなります。
 大きなお世話かもしれません。
 でも、こんな秘湯の一軒宿なら、耳からだけでなく骨からも聴こえる環境は最適ではないでしょうか? 聞き取れる範囲が増えることで、新たなコミュニケーションが広がります。

 訪れた側も鉱泉の湯を肌だけでなく骨で感じて頂きたいものです。

 骨伝導の音声増幅器がおすすめです。 》》 骨伝導きくちゃん


骨伝導と城山温泉の交差

城山温泉浴場


 骨伝導を使った新しいコミュニケーションを模索しているときのことです。

 それは、珠玉の隠れ家的な宿として度々訪れていた城山温泉が、惜しまれつつ廃業してしまって約半年余りが経った頃でした。
 機構ライターのD氏がたまたま、何となく金曜の深夜のテレビドラマを観ていたら、思いがけずテレビの画面上で城山温泉の宿の佇まいと再会してしまったというのです。
 後から知るところでは、なんと宿の外観や風景がそのドラマの主人公の家のロケ地として採用されていたようなのです。

城山温泉概観


 骨伝導がまだ一般化されず、妙な誤解まで招いていた時期です。
 実は温泉による癒し効果と骨伝導による脳波との関係から、新たな温泉旅行の提案という企画はどうかと思案していたことから、機構ライターD氏に参加して頂いていたのです。その彼が城山温泉の廃業について語ってくれました。

 その結果、温泉旅館での骨伝導音声増幅器「きくちゃん」(⇒詳細はこちら)や骨伝導受話器「きくテル」(⇒詳細はこちら)を温泉旅館で体験していただくのはどうかという話に発展しました。画期的なことです。

 そこで、今回は紀行ライターD氏が以前雑誌に掲載した城山温泉の記事を特別に掲載しようと思います。

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 冬の田舎町の空気にほのぼのしていると間もなく谷村町の駅前に着いた。都留市駅を一回り小さくしたような駅ロータリーがあり、周りは飲食店が3〜4軒と自転車屋が一軒。都留市の南のはずれの町という感じ。
 ここから城山温泉までは徒歩約6分。実はこの6分の間で

 驚くほどロケーションが変わるのだ。

 駅の表側はロータリーから始まる町だが、裏側は桂川という渓流が流れており、それが深い谷を造っている。温泉へはまず踏み切りで線路を跨ぎ、かなり急な下り坂を渓流に向かって下りて行く。

  あっ
           という間に人家が途絶え、一歩一歩の度に周りの風景が変わっていくのが分かる。徐々に渓流の音が耳に大きくなってきた頃に城山温泉のえんじ色の屋根が見えてくる。最初に訪れた時はこの変化に多少驚いたが、もう5回目ともなるとむしろ

   “変化を楽しむ”

という感じだ。道は下り切った先が桂川に架かるつり橋となり、一軒宿「城山温泉」は橋の手前、桂川の畔にひっそりと建っている。

 道を挟んで宿の反対側に小さな広場のような所があり、私は必ず宿に入る前にここで一服してしまう。なにより桂川に架かるこのつり橋がよい点景になっており、橋の上から眺める渓流も素晴らしい。

 広場の脇の斜面に踏み固められた小道を降りると、すぐ河原にたどり着ける。冬の雪解け水の混じった水はかなり冷たいが、春から秋にかけての渓流解禁期間は、良型のヤマメやイワナ、ニジマスが狙えることで、多くの渓流マンで賑わう。

 ただそういった時期になると、必ずこの渓流にもいたる所にゴミが投棄されているのが目に付くようになってしまう。一部の心得られない者の仕業と言ってしまえばそれまでだが、これは釣りに限らず山登り・秘湯めぐり・キャンプ等いろいろな分野で共通している。何かがブームになり、それにより地域や分野が活性化するのは素晴らしいことだが、そうなると必ずと言ってよいほどヘンなヤカラがブームに乗じて混じってくる。

 一時期話題になってしまった登山ブームから発生したゴミ投棄問題や、尾瀬の水質汚染によるおばけ水芭蕉問題など、あまりいやな言い方はしたくはないが、やはり困ったものだ。

 まあ様々な思いや憤りも交錯してしまうがきりがない。今の私は只々この美しい渓流が年間を通じてこの景観のままでいて欲しいと思うだけである。

 旅行作家の野口冬人が城山温泉について書いた文章での冒頭はこうである。

「桂川に面した城山温泉は、小さいが庶民的で気の置けない「知る人ぞ知る」湯宿である。出張に利用する人、行楽帰りによる人、温泉だけを楽しみにくる人、釣果を誇って一浴して帰る人…さまざまな人がこの宿を訪れている」

 なかなか言い得て妙である。
 創業が昭和35年。先代がボーリングして単純温泉、15度の鉱泉を得たのを機会に開いた鉱泉宿で、建物は内装も含めて往時のまま。

   はっきり言ってかなり古びている。

 実際、一番最初訪れた時も正直

   「ここ大丈夫かなァ?」

 と思ってしまった記憶がある。
 ただ後で聞くと常連さんから、

   「昔のままでいて欲しい」

 という要望が多いことが分かってきた。いわずもがな、気が付いたら私もすっかりその一人になってしまっていたようなのである。

 玄関に入り、客が釣った魚の魚拓などがかけられているフロントから、

「ごめんくださーい」を一発。

 今日は一発でお馴染みの女将さんが出てきてくれた。

「まあまあ、いらっしゃい!」


 玄関を含む母屋が木造2階建てで、2階は宴会も出来る広間になっている。母屋を縦に走っている風情ある廊下を歩いていくと、母屋を出た後ろに、8畳間と6畳間の客室が10室。それが平屋と2階建ての建物、計7棟に分かれていて、石畳と屋根の付いた廊下で結ばれている。それぞれの部屋に玄関がついているから、離れ形式といってもいいと言える。

城山温泉内部


 離れと言うとなんだかお偉方が泊まる高級宿のように聞こえるかもしれないが、

 自分としては(もちろんいい意味で!)
昭和30年代の長屋という風に見えてしまう。

 自分がよく泊まる宿の中でも、こんなカンジは他にはない。これらの要素一つ一つに自分は惹きつけられているのだろうと思う。

 あやめ、ぼたん、もみじなどの名称がそれぞれの部屋に付けられていて、今回もお決まりの「ききょう」に通される。
 部屋がまた素晴らしい。

 当然非常に古いが、

窓を開けると小さな庭を挟んで桂川の河原はすぐそこである。

 縁側から庭に出て、そこで即釣りもできそうだ。
 ぼんやり外を眺め、なーんにもしない贅沢な時間を楽しむ。

 なんにもしてないようで、実はこんな時間に様々なイマジンが湧いてきたりするから不思議だ。脳みそがリラックスしているのが自分でもよく分かる。とにかく至福の時間であることは間違いない。
 到着が割りに早かったこともあり、しばらくM氏共々部屋でなんにもせずのんびり過ごし、そろそろ風呂へ。

 浴室は一旦母屋へ戻り、廊下の途中にある。
 風呂は岩をふんだんに使ったひょうたん型の浴槽がある。
 冷泉を加熱しており、ひょうたんの半分は高温、もう半分は低温と二種類の温度に分かれている。
 大きくとった窓の外は桂川の流れ。なかなかの展望風呂だ。

 単純泉でゆっくり入っていると身体の芯まで温まる。湯治温泉としての評判もよく、リウマチス、神経痛、腰痛、胃腸病などに効果があるという。まあ今回の旅のプロローグの湯ということで、存分に堪能する。

 贅沢な時間はあっという間に過ぎ、夕食の時間。

 この宿は家族経営でかつ部屋は離れにもかかわらず、すべて部屋食である。一旦外へ出て大変であろう。敬服する。また、桂川でとれた新鮮な川魚が焼きたてで出るのだ。M氏ともども楽しみに待つ。彼は例によって昼間のうどんはすっかり消化してしまい、極限の空腹状態のようである。

 やがて、宿の娘さんが夕食を運んできた。岩魚の塩焼き、山菜のてんぷらなど、すべて焼きたての揚げたてである。

 まずはビールで乾杯する。

 片っ端から食べて片っ端から

  「うまい、うまい!」


 改めて城山温泉は本当によい宿である。今回が5回目なのだが、近場ということもあり、また気が付いたら訪れていることだろう。

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(廃業後の紀行ライターD氏のコメント)
 テレビ画面の城山温泉の建物を観て、嬉しくもあり、懐かしくもありました。そして「これを機に再開しないかなあ…」などというありふれた思いを浮かべながら、女将さんとのやりとりを思い出したりしていました。

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 そしてそれから月日が経過しましたが、いよいよ骨伝導と温泉との本格的な出会いが始まる予定です。
 温泉旅館は日常生活の隣に位置する非日常的要素も持っています。同時に日常の延長としての難聴による悩みも引きずります。また、骨伝導は理屈でなく、体験して初めて効果やその技術のすごさに気づくものです。従って体験場所が必要です。

 これを温泉旅館を舞台にして行おうと考え、準備しています。
 ご期待ください。

 骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」(⇒詳細はこちら)でも随時発表されていきますが、このブログでも紹介やレポートをしていきたいと思っています。
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